『グレイト・ギャツビー』2016/07/24昼の部 新神戸オリエンタル劇場

『グレイト・ギャツビー』観てきた。

元々入所の頃から内担だった姉が、
「ガイズとSHOCK以来だわ。歌どうなったか見てみたい」
と言ったから。
私は高田が見たかった。
あ、姉はずっとピンクの自担カラーの戦闘服で自担のいない∞コン参戦してたけど、2010年頃ソロで行くって内のコメントを期に担降りした。で関ジュ担なったんだが、すぐヲタ卒してバンギャなった(笑)

その姉との観劇です。

 


最初『グレイト・ギャツビー』って『華麗なるギャツビー』のギャツビーと知らなかったwストーリー全然知らない。
パンフ買って、内博貴の登場は途中からと知る。
姉妹が、
「バッチ出てる〜」
と喜んでる。
誰?それ?
舞台の人?
そのバッチこと相葉さんが語り手としてストーリーが展開する。
出番多いw主演こっちじゃね?w


姉はほぼほぼオカン目線で内を観てる。
内に関して。
歌が聴き取りにくい。声量ある。声伸びてるが発声のせいか歌詞聴き取りにくい。
ダンスはやはり膝曲がっている時ありw


バッチ。
どうやら舞台では人気らしい。
達者。
でももっとデキる人かと思ってた。
お花飾ってた。それに対抗してか高田へのファンからのお花もあったが、
姉「内への花がないw座長www」
「いや地方だから無いのかもw」


高田翔。
出番少ない。どうやらモブでちょこちょこ出てたらしいが見つけられずw
台詞回しはむしろバッチよりいいと思うんだが。歌も意外と歌えてた。
なんせライオンキングかなんかで子役で舞台上がってた子だ。役者やりたくて選択肢の一つとしてジャニーズ事務所選んだ子(笑)頑張れ。
今回は確か“芝居がデキる子”ってことで内の推薦だったような。

 

舞台。
ミュージカルってやっぱ楽曲の良し悪しで決まるよね。そこが弱い気がした。
今パンフ確認したら…うわw音楽岸田敏志かぁ。シンガーソングライター。で役者としても出演してた。なんで?ラストにワンシーンだけ?と思ったが音楽担当なら納得。
で、原作はアメリカ文学で映画化も何度かされてるが、この舞台自体はオリジナルだ。見る前は、てっきりブロードウェイやオフなんかの翻訳物かと思ったら違った。そりゃ…楽曲弱い。
ミュージカルの楽曲って相当難しいよな。
姉帰りの車の中で、
「頭の中に曲が流れてるが、ギャツビーじゃなくてガイズだというw」
ガイズ一体何年前の作品なんだw
楽曲の力ってそういうものなんだろうな。

 

演出は錦織。
『オダサク』からの内は付き合い?『ガイズ』で共演してたんだっけ?
『オダサク』は歌中心の舞台だっけ?『ガイズ』は翻訳物のミュージカルか?

先日『寝盗られ宗介』を観た。これもニッキ演出。
『寝盗られ』はつかこうへい作品だったから、つか色が強かった。昔生前のつかこうへいの作品に出演したことがある縁で演出したらしいが。
そこはまだ分かる。演者としてつか演出を経験したことあるから、現在は演出をしているニッキが演出。テイストもそりゃ経験してたらより伝えられるだろうし、そこに演者としていたのなら、演出も役者の立場も分かる。
だから『寝盗られ』で演出はなんとなく分かる。


今回のニッキ演出は…どうなん?(笑)いや舞台ってよく分かんないからさ。
以前TVで演出家ニッキへの密着映像見たが。クセ強いな〜(笑)演出家ってそういうもんかもしれないが自己陶酔的に感じた。歌、ダンスも出来て、演者としての立場も分かっていて、その上での演出。
どうなんだろ?演出家としての仕事をよく知らないってのもあるんだが、なんとなくジャニーズのタレントを主役に持ってきての演出のイメージ。それ外部といっても…なぁ。
どっちがどっちなのかは言い難いが、おんぶに抱っこ的な。
「外部と言ってもな〜」
姉「ニッキから離れて本当の外部でもまれて欲しい。内って、これがやりたいという主体性がない。事務所の言われるまま仕事してる気がする。以前はバンドやりたいと言ってたが、ホンマにそうなん?と思う。このまま40代突入すると本当に仕事無くなる」
「2,3階席空席あったな」
姉「うん」
因みに神戸で前楽です。


ニッキに対しては、ジャニタレ人気でそこそこチケの捌ける舞台の演出家という泊付けが事務所の思惑かもしれない。
内に対しては、外部とはいえ気心の知れたニッキを付けるという配慮か?
でも結局は松竹にそこそこチケの売れる興行を提供ーーーーなのかもw


事務所からの、内に対する乳母日傘にも見えるし、ニッキに対する仕事の提供にも見える。そんなとこで貴重な時間を費やして欲しくないというのが正直なところ。
でもって『オダサク』は文ちゃんも絡んでる。どうせなら純粋な外部で仕事して経験積んで欲しい。
更に、光一氏体力的にSHOCKキツくなったらニッキ的ポジション行くのかな?とぼんやり考えると、ちと辛い。
いや、ニッキが悪いとか嫌だとかそういうこちではないが、なんとなく事務所の手前味噌っぽい感じが嫌だ。光一氏の外部出演希望を、SHOCKに傷を付けると拒否した事務所。なんだかクローズドされた仕事環境なんだよな〜。いくら褒められても、そこにはリップサービスもあるだろうし、チケが売れればそれで良しという考え方もあるだろう。
そのタレント本人が将来の為にどのように力量を付けるかまでは考えてないような。勿論そんなことは個人の範疇かもしれないが。20年後のビジョンまで描いて仕事与えて欲しいという思いは我儘か?w

伸び伸びと外部で仕事してる人が羨ましい。


で結局。
そういうクオリティの舞台です。すまんwそう感じた。
姉「内はギャツビーをずっと演りたかった舞台と言っていたが、これで果たして満足なのか?」
うん。
まぁ…脚本もあるんだろうが。


テーマは?
イノセントな恋?
愛に関してはイノセンスなギャツビー?
そこまで尽くした愛する人は結構スノッブだが、それはリアリティ感漂ってて不条理で良いのか?
文学作品としてはいいと思うが、この舞台観てカタルシスは無いな。


姉「内ファンのツイ見てて『ラストの内、哀しくて美しいです』『泣けました』て…。引くわ。ファンはこんなんで満足なのか?」
はははw

なるほど。そこがカタルシスw


役者さんはゴスペル出身、ヅカ出身、四季出身等といろいろで下手な方はいなかった。ヒロイン役の方の声量なかったぐらい。その友人の宝塚退団後すぐの方は役作り面白かったし、ヒロインの夫の愛人とその妹もキャラ濃くて面白かった。
その中で内…wいや綺麗だし甘いし歌も頑張ってたが。
姉「ビブラートらしきものはかけれている。上達した!」

バッチは可もなく不可もなく。ちゃんとお仕事してた。


姉「でももう11年経つのに内いまだにファン居るんだな」
前から6列目だったが、それよりまだ前で内の良いシーンになるとサッと双眼鏡取り出す方結構居たw
と言いつつ姉も双眼鏡で見てたが(笑)
姉「あんなことなければ、内の今の立ち位置や仕事の仕方も違ってただろうな…」
うん。
姉「でもやっぱ演技はイマイチだっただろうな(笑)∞じゃ大倉もまさかのイマイチだったしな〜」
むしろマルの方が面白いw


私的には高田観に行ったのに、どこに居たのか分からないのがw残念w
『寝盗られ』の丈一郎の方が存在感あったな。若しくは『だいこん役者』の文ちゃん(笑)


ジャニーズであってもCDデビューが全てではない。
てかCDデビューしてそっちのプロモーションに金かけられるグループの数なんて決まってるんだから、それ以外の人間も多い。
だからタレントのマネージメントをしている事務所として、CDデビュー以外の仕事をする人間の道がもっと広がってもいいと思うんだが。


作品について。
音楽は前述。
脚本は?
確かに原作は友人の語りで綴られているのかもしれないが。それをするとギャツビーの存在感が薄いような。状況設定をまず観客に見せて、ミステリアスに謎の人物ギャツビーを姿は見せないままに描き出す。
それは確かにアリだが。果たしてその手法は有効に働いていたのか?
ギャツビーの元恋人の状況、当時の世相や人々の考え方を描くことに冒頭はウエイトがかかっていた。なんか尺が惜しいというか。
そこが分からないと確かにギャツビーへの理解は難しいだろうが。もうちょいギャツビーの存在感が欲しかった。たとえ他者の口から語られるだけだとしても。
と、素人が言ってみるw


あ、そうか。バッチのあの程々感は、語り部自体の存在感を消そうとしているからかwあそこでバッチが達者だと、本当に主役が誰か分からなくなるw


こうやって考えてみると、結構ストーリーとしては程よく描かれていたか?
ギャツビーの元恋人も、あの時代の富裕層白人女性の生き方としてはあんなもんなんだろう。土壇場でのクズ感も、それでさえギャツビーは愛おしいんだから。
優柔不断で家や両親や社会を言い訳にして、でも実は夫も愛しているというごく普通の女を、自分の手を罪に汚しつつも愛し続けるギャツビー。自分の身を顧みず。


社会的理不尽さに抗していた男が、女性の為にという目的を得る。そこにすがって生きているような。
多分男にとっては女はサンクチュアリで。でもそれはきっと現実のリアルな生身の女ではなく、自分の中での聖女なんだろう。
勝手に偶像化したらそりゃ裏切られる。だからそれを甘んじて受け入れるのは既に織り込み済みなのかもしれない。
そんな状態をイノセントと言うのか?

それか社会的理不尽さに圧殺された男の哀れさを描きたかったのか?当時のアメリカはそういう社会であった。そこで抗したギャツビー。
ーーーなのか?

 

よく分かんない。
原作も映画も知らないしな〜。
でも華麗できらびやかな姿を最初に見せつけて、その裏の落差をがっつり描かないと、最後の哀れさが際立たない。
内は…綺麗なんだけどなぁ。甘い声と綺麗な容姿。そこは確かに華麗なるギャツビーかもだけど。
裏の顔の線が細すぎないか?凄みやあくどさがない。ここでは、それでいいのかな?見た目下層階級と一見分からないギャツビーなんだから。でも欲張りなもんでもうちょい欲しい。
そういう描写あったでしょ?と言われれば、確かにあった。
が。
もうちょい頑張れよと言いたい(笑)
せっかく念願のギャツビーならばさ。

あれじゃ只の王子様。


大人のお話なんだろうな。
でも観に来てるのは単なる内ファンで。
確かにそこには、ジャニ舞台特有のトンチキさやエンターテイメント性はない。良い意味でも悪い意味でも。そういうニッキ演出の舞台だ。

ニッキはああいうジャニ舞台には惹かれないんだろう。光一氏もそっちじゃない(笑)でも所々に寒いお遊びが転がってるw

 

つか作品ならまだなんとなく原型があるけど、がっつり最初から作る今回のような作品の場合は、厳しいな〜。オダサクはどうだったんだろう?

舞台演劇もいろんな方法論があるんだろうから、これはこれでいいのかもだが。
なんか中途半端というか消化不良というか。

 

そういや宝塚版てあるんだよね?

どうなんだろう?

多分手慣れた達者な感じの舞台なんだろうな〜。そういう、お客さんの前にちゃんと商業演劇として提示する手法はすこぶる達者だと思う。先日見た『だいこん役者』なんかと通じるものがある。より大衆的というか。

 

いやいや(笑)
素人考えの感想失礼しました。